JKの戯言

ひしめき合う人々。

肩に他人の肩が触れる。

 

私は広島市内の高校に通っている。

とんでもない田舎から1時間以上かけて、

通学をしている。

怖くて仕方がない。

連日増えていくコロナ陽性者。

ゴールデンウィーク中ではあったが、

我が校にも陽性者が出たと言う。

 

通学には電車と市電を使う。

行きも帰りもだいたいギュー詰めだ。

学校に着いても、

1000人の生徒がひしめいている。

つまるところ、なのだ。

どこに行ったって密。

みすみす、感染しに行っているようなものだ。

ものすごく、怖い。

オンライン授業を心から望んでいる。

でも学校は当面そんなことする気はないらしい。

命がかかってるんだけどなぁ。

と、思いながら今日も私は電車に乗る。

そりゃ広島ですから、大都市よりか人口密度は低いだろう。

でもね、密なもんは密なんだよ。

今の時代、

密は必ずしも安心できるものじゃないのだ。

 

先日TVを見ていて面白いことを聞いた。

「小学校・中学校で人との向き合い方なんかを学ぶから、高校・大学はオンラインで事足りるのではないだろうか」

なるほど、と思った。

かなり共感した。

学ぶのに、先生と会わなければならないと言う法はない。

学べさえすればいいのだ。

今の時代に適応している学習法だ。

しかし、その人はこうも言った。

「デジタル化することによって、学習格差がさらに広がる」と。

学習格差とは、その環境によって子どもの受けられる教育に差が生まれることだ。

授業がオンライン化したら、もっと電波環境を改善しないといけなくなる。

全ての人がなんらかのデジタル機器を持たないといけなくなる。

 

さて、いよいよ私が言いたいことがわからなくなってきた。

コロナが怖い?–そう。

オンライン授業になってほしい?–そりゃね。

世界には改善すべき点があるけれど、

どうすべきかわからない?–…そう。

今、思いついたのが、

「コロナという災いが起こって、いろいろな問題ができたというのではなくて、コロナという災いによってそれらの問題が見えるように、はっきりと感じられるようになったのではないだろうか」

ということ。

 

…もう、自分が何を言いたいのかわからなくなってしまったので、上の文をまとめとする。

 

駄文にお付き合いいただき、

ありがとうございました!